某楼に飲す
飲某楼
豪気堂堂横大空
日東誰使帝威隆
高樓傾盡三杯酒
天下英雄在眼中
某楼に飲す
豪気堂々大空に横たわる
日東誰か帝威をして隆んならしむ
高楼傾け尽くす三杯の酒
天下の英雄眼中に在り
『某楼に飲す』は、伊藤博文公を顕彰するパフォーマンスとして、吟じられました。
この漢詩は伊藤博文が兵庫県知事時代、明治2(1869)年、当時27歳の時に作ったものです。
当時の明治政府は尊王攘夷を掲げて行動を起こした朝廷や長州、薩摩、土佐などの攘夷派志士によって構成されているため、各地の攘夷派は新政府が成立すれば、攘夷が断行されると考えていました。ところが、新政府は「開国の詔」を出して、諸外国に対して江戸幕府が締結した条約の継続を約束し、攘夷について明確な否定はしていませんでした。
伊藤博文は英国留学を通じて攘夷が非現実的な方針であり、いつまでも現実不可能な路線に固執すべきではないと考えていました。そこで、六か条からなる提案書『国是綱目』を建白し、維新の大号令はかくあるべしと、宮中会議の席上で述べました。
三条実美や岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛などの「維新の英雄」が居並ぶ中で健白し、退出した後、心の高揚感を詠んだのが、この『某楼に飲す』で、若き伊藤博文の豪快な心意気が感じられる作品です。